主夫はいいけど、ヒモはちょっと…

先日、講演中のワークショップのお題の一つとして、
「自分が(夫が)主夫になる!その選択はアリか?」
という問いを出しました。
そこで出てきたのがタイトルの
「主夫はいいけど、ヒモはちょっと…」
という女性の意見でした。

その率直な気持ちは理解できます。
きっと僕がその人の立場なら同じ気持ちになると思います。

という前提でありながら、しかし…
ヒモを糸口に、いろいろ深掘りできるテーマだなと感じました。

これがもしも男女逆ならどうなるのか?ヒモという言葉は、男性を表す時にのみ使われる言葉です。仕事はしない、家事もしない、貢がせるだけで遊びは大好きという女性であってもヒモとは言いません。なんで同じ状態なのに、男性だけヒモと呼ばれるのでしょうか?チョット調べたところ、ヒモにあたるフランス語にジゴロ(gigolo)という言葉があります。フランス語にはジゴロの女性版ジゴレット(gigolette)という言葉もあるようです。

ヒモと主夫の差は、おそらく家事をしているかどうか?くらいだと思うけど、そもそも家事をしているかどうかの基準なんて、あってないようなもの。本人は家事しているつもりでも、よその家の人が見れば「それは家事か?」というものも。例えば、インスタントラーメンは料理なのか?料理に含まれないのか?インスタントラーメンでも具だくさんなら料理になるとして、その具だくさんの基準は?掃除なんて、もっと家事かどうかを分ける基準は曖昧だ。

何年もヒモ状態の男性がいるとします。そこには、稼いで家事もして…と支えるパートナーが必ず存在します。ヒモを何年も支え続ける。そこには、それなりのヒモがヒモでい続けるための何かがあるはずですし、支え続けるパートナーにとっても、何かあるのだと思います。その何かとは何なのか?それは、ヒモではない男性とのカップル、いわゆる「普通のカップル」と同じ何かか?それとも違う何かなのか?

主夫とヒモ、似たようなものなのか?似て非なるものなのか?

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